Arkansas, United States, page #3,770

ピーリッジの戦い(ピーリッジのたたかい、、またはエルクホーン酒場の戦い、)は、南北戦争中の1862年3月7日から3月8日に、アーカンソー州の北西、ベントンビルに近いピーリッジで行われた戦闘である。この戦闘では、サミュエル・カーティス准将率いる北軍がアール・ヴァン・ドーン少将率いる南軍を破った。その結果、実質的に北軍によるミズーリ州支配が固まった。この戦いの特徴の一つは、南軍が北軍より勢力で上回っていた数少ない戦闘の一つということである。背景北軍1861年後半から1862年初めに掛けて、ミズーリ州の北軍は事実上南軍を州内から追い出していた。1862年春までに北軍のサミュエル・カーティス准将はその南西部軍で南軍をアーカンソー州に追い込もうと考えた。カーティスはシュガークリークという小さな川に沿って、アーカンソー州ベントン郡に約10,500名の部隊と50門の大砲を移動させた。その部隊は主にアイオワ州、インディアナ州、イリノイ州、ミズーリ州およびオハイオ州出身の兵士で構成されていた。その半分以上はドイツ系移民だった。カーティスはクリークの北岸に防御に優れた場所を見出し、そこの防御を固め大砲を据えて、予想される南からの南軍の攻撃に備えた。南軍南軍のアール・ヴァン・ドーン少将は、ライバル関係にあるミズーリ州のスターリング・プライスとテキサス州のベンジャミン・マカロック各将軍の一触即発状態を鎮めるためにミシシッピ川流域地区軍の全体的指揮官に指名されていた。ヴァン・ドーンの西部軍は総勢16,000名であり、その中にはチェロキー族インディアン800名の部隊、ミズーリ州兵の派遣部隊、テキサス州、アーカンソー州、ルイジアナ州およびミズーリ州の南軍騎兵、歩兵および砲兵が含まれていた。. [read more]