Uncategorized - United States, page #596,084

ファニエル・ホールは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市の中心部に位置する歴史的建造物。1740年に市場として建てられ、その2年後に集会場に転用された。サミュエル・アダムズやジェームス・オティスなど、独立派の有力者が演説を行った場所でもある。2004年の大統領選挙のときには、当時上院議員であったジョン・ケリーがここで演説を行った。現在では観光名所のひとつとなっている。 ファニエル・ホールは芸術家ジョン・スマイバートによって設計された。当初は2階建てであった。1740年に完成してから2年間は、本国イギリスにあったような市場として使われていた。2階は集会室になっていた。建設費用は地元ボストンの豪商ピーター・ファニエルの出資によって賄われた。 屋根の上についているバッタの風見はこの建物のシンボルであると共に、ボストンのシンボルでもある。銀細工師シェム・ドラウンによって制作されたこの風見はロンドンの旧王立市場の風見に似せて作られたもので、「新世界」の経済の中心の象徴となるべく建てられたこの建物に相応しいものであった。独立戦争中、13州植民地側の兵士たちの間では、「ファニエル・ホールの上には何がいる?」という質問に対し「もちろんバッタだ」と答えることが敵味方を区別するための合言葉となっていた。 ファニエル・ホールは1761年に一度焼失してしまったが、翌1762年には建て直された。1806年にはチャールズ・ブルフィンチによって大規模な増築が行われた。その結果、新しい建物の高さと幅はそれまでの建物の2倍になり、また3階が新たに設けられた。新たに4つの張り出し窓が設けられ、回廊には天井が設けられ、屋根上のドームは建物の反対側に移された。また、ブルフィンチはドーリア式の付柱を1階と2階に、イオニア式の壁柱を3階にそれぞれ設けた。集会場の天井も高くなり、またその周囲には絵画が飾られた。 その後、1898-99年にかけてファニエル・ホールは不燃材を使用して建て直された。1979年には地下と1階が改装された。1992年にも修復が行われた。現在では、ファニエル・ホールは隣接するクインシー・マーケットと共に、ショッピングセンターの一部になっている。また、ボストン国立歴史公園の一角をなし、フリーダムトレイルに沿った観光地のひとつともなっている。. [read more]

シンフォニーホールは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンにあるコンサートホールである。ボストン交響楽団とボストン・ポップス・オーケストラが本拠地としている。 ボストン交響楽団が当時拠点としていたホールが道路工事と地下鉄の建設のために使用できなくなったため建設されることになった。ニューヨークのMcKim, Mead & Whiteの設計により1900年10月15日完成。音響の設計はハーヴァード大学の若き助教授ウォーレス・クレメント・セイビンが担当した。彼の手によって、世界で初めて科学的な根拠に基づいて音響が設計されたホールとなった。 設計にあたって、ホールの形は、19世紀においては理想的とされたシューボックス形式と決められ、当時、その形式の代表的なコンサートホールの一つであるライプツィヒのゲヴァントハウスをモデルにして、それよりも若干細長く、また天井は高く設計された。 座席にはオーケストラ、ファーストバルコニー、セカンドバルコニーがある。座席の位置による音の聞こえ方の違いが少なく、残響時間が満席時で2秒を保つ音響特性をもち、座席数は、シンフォニーシーズンは2625席、ポップスシーズンは2371席である。 舞台後方にはパイプオルガンが設置されている。 このホールは、ウィーン楽友協会大ホールやアムステルダムのコンセルトヘボウと同様、現在でも、19世紀からの姿をそのまま残すシューボックス形式のコンサートホールである点から、内外に広く知られている。 近年、世界各地にワイヤード型コンサートホールができ、アメリカにもロサンジェルスに、ウォルト・ディズニー・コンサートホールが建設され、綿密に計算された音響特性、ホールの各種最新設備など、ボストンのシンフォニーホールの優位性は、現代においては事実上薄れてきてはいるが、19世紀のシューボックス・コンサートホールの姿そして様式美を今に伝えており、アメリカが持つ貴重な建物の一つと言える。. [read more]

トリニティ教会は、マサチューセッツ州ボストンのバックベイに位置し、米国聖公会マサチューセッツ教区の教区教会である。その信徒団は現在約3,000世帯に及び、1733年に設立された。現在の教区牧師はアン・ボニーマン師である。毎日曜日に礼拝が4回行われ、9月から6月までのウィークデーでは週3回行われている。トリニティ教会は「高教会派」と考えられる傾向にあるが、広教会であり続けている。 この教会は礼拝に加えて、地域社会への奉仕、パストラルケア、子供や10代の者のためのプログラムおよびあらゆる年齢のキリスト教徒教育に積極的に関わっている。 この教会にはトリニティ聖歌隊、トリニティ・スコラ、トリニティ・コリスターズおよびトリニティ・チェンバー・クワイアなど高水準の聖歌隊が幾つかある。 1872年のボストン大火でサマー通りにあった元のトリニティ教会が焼けた後、現在の教会建物は当時の最も良く知られカリスマ的説教師だったフィリップス・ブルックス牧師の指示で再建された。教会と牧師館はヘンリー・ホブソン・リチャードソンによって設計され、建設は1872年に始まり、1877年に献堂された。バックベイのコプリー広場にあるトリニティ教会はリチャードソンに対する評価を確立する建物になった。粘土瓦屋根、多彩装飾、粗い石材、重いアーチおよび重量感のある塔で特徴付けられるリチャードソン・ロマネスク様式の誕生地および原形となった。このスタイルは間もなくアメリカ合衆国中の多くの公共建築物に採用され、ヨーロッパやカナダで模倣されたことでは最初のアメリカ建築様式となった。. [read more]

キングス・チャペルは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市に立地するユニテリアン派の教会堂。同市最初の聖公会の教会堂である。トレモント通りとスクール通りの角に位置する。 キングス・チャペルは1688年に建てられた。当時は木造であった。住民が清教徒の教会以外には土地を売らなかったため、教会は公営墓地の中に立てられた。1749年から1754年まで5年の歳月をかけて教会堂が建てかえられ、現在の石造の建物になった。教会の鐘はイギリスから持ちこんだもので、1772年に取りつけられた。1814年に一度壊れてしまうが、ポール・リビアによって修復され、付け直された。以後、礼拝のときには必ずこの鐘が鳴らされている。 独立戦争中、この教会堂は閉鎖されていたため「石の礼拝堂」と呼ばれた。独立戦争後の1782年、この教会は祈祷書の改訂者であるジェームス・フリーマンのもと、ユニテリアン派の教会として再開された。その当時フリーマンはまだこのキングス・チャペルを監督派の教会にしようとしていたが、聖公会はフリーマンの叙任を拒んだ。そうした経緯から、この教会においては現在でも聖公会とユニテリアン派のハイブリッド的な教義が採られている。 同教会の墓地には歴史上の重要人物が数多く埋葬されている。教会・墓地ともにフリーダムトレイルに沿った名所となっており、ボストンへの観光客が数多く訪れる。. [read more]

マサチューセッツ州は、アメリカ合衆国の州であり、北東部ニューイングランド6州の1つでもある。マサチューセッツ州は「州」 の代わりにコモンウェルスを使っているが、日本語では他州と同様に「州」と訳されている。2010年度の人口は 6,547,629 人。 南はロードアイランド州とコネチカット州、西はニューヨーク州、北はバーモント州とニューハンプシャー州に接している。東は大西洋である。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第44位、人口では第14位、人口密度が第3位である。東部のボストン大都市圏と、西部のスプリングフィールド大都市圏という2つの中心地がある。人口の約3分の2はボストン大都市圏に住んでいる。州都はボストン市であり、人口最大の都市でもある。ボストン大都市圏には、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学などがあるケンブリッジやサマービル、クインシーなどの市町が含まれている。 マサチューセッツ州はアメリカ史の中で各分野にわたって重要な役割を演じてきた。1620年、メイフラワー号の乗船客ピルグリムによって、プリマス植民地が設立された。1636年に設立されたハーバード大学は国内最古の高等教育機関である。1692年、セイラムとその周辺ではセイラム魔女裁判と呼ばれる忌まわしい事件が起こった。18世紀、大西洋圏を席捲したプロテスタントの第一次大覚醒運動は、ノーサンプトンの説教師ジョナサン・エドワーズに端を発していた。18世紀後半には、アメリカ独立戦争とイギリスからの独立に繋がる扇動によって、ボストンは「自由の揺籃」とも呼ばれた。1777年にヘンリー・ノックス将軍が設立したスプリングフィールド造兵廠は、産業革命の時代に交換部品など多くの重要な技術進歩を促進した。1786年、州西部の農夫によるポピュリスト革命、シェイズの反乱が直接アメリカ合衆国憲法制定会議の開催に繋がる要因になった。 南北戦争以前の時代には、禁酒運動、超越論的思想、奴隷制度廃止運動の中心になった。1837年、コネチカット川バレーのサウスハドリーの町に、国内初の女子カレッジであるマウント・ホリヨーク大学が開校した。19世紀、州西部の都市、スプリングフィールドとホリヨークでバスケットボールとバレーボールが発明された。2004年、州最高裁判所の判決により、国内で初めて同性結婚を法律で認める州になった。州内からはアダムズ家やケネディ家など多くの著名政治家を輩出してきた。 マサチューセッツ州は当初漁業、農業、貿易業に依存していたが、産業革命の間に工業の中心に変わった。20世紀にはその経済が工業からサービス業に転換された。21世紀には、高等教育、医療技術、ハイテクと金融業で指導的存在である。. [read more]