バックホルツ陸軍飛行場()は、マーシャル諸島クェゼリン環礁のクェゼリン島にある米陸軍の飛行場である。歴史太平洋戦争(大東亜戦争)開戦後に海軍設営隊第四海軍施設部によって建設され、1943年(昭和18年)に日本海軍の飛行場として完成する。完成後は第十九航空隊が駐屯し、主にマーシャル諸島海域での哨戒任務に従事する。しかし、マキン・タラワの戦いが終わった後の1943年(昭和18年)12月14日から米軍による空襲を受けるようになり、1944年(昭和19年)1月30日からは米軍によるマーシャル諸島攻略作戦が開始される。2月2日には米海兵隊が上陸し、日本軍の守備隊と激しい攻防を繰り返すが、2月6日にクェゼリンは米海兵隊によって占領された。占領後、バックホルツ陸軍飛行場と名付け、飛行場を拡張した米軍は1944年4月にエリス諸島のナヌメア環礁やギルバート諸島のタラワからB-24を中心とした重爆撃機隊や写真偵察機隊を移駐させた。これらの部隊はマリアナ諸島攻略作戦に導入された後、9月頃にマリアナ諸島のサイパン、テニアン、グアムに移駐した。部隊が移駐した後、バックホルツ陸軍飛行場は終戦まで後方の補給基地として機能した。
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