Shiga, Japan, page #59

野洲市立野洲中学校(やすしりつ やすちゅうがっこう)は、滋賀県野洲市小篠原にある公立中学校。沿革六・三・三制度が導入された戦後の学制改革により、1947年4月に野洲中学校として設立された。当時はまだ中学校としての独立した校舎は無く、野洲西小学校(現野洲小学校)の校舎を借用してのスタートとなった。野洲東小学校(現三上小学校)には三上分校がおかれた。翌1948年10月には現在地に独立校舎が完成し、野洲西小学校、野洲東小学校での借用状態が解消された。 1955年4月には、野洲町、祇王村、篠原村が合併して、野洲町立野洲中学校へ改称した。人口増加期の1984年には野洲町立野洲北中学校を分離している。2004年には野洲町が中主町と合併して野洲市になったことに伴い、野洲市立野洲中学校へ改称している。年表 1947年4月 - 組合立野洲中学校、三上分校開校 1948年10月 - 新校舎(現在地)に移転、三上分校を廃止 1955年4月 - 町村合併に伴い、野洲町立野洲中学校へ改称 1963年2月 - 体育館竣工 1978年2月 - 3年生2名が、いじめの仕返しとして同級宅で4名を襲い、1名が死亡、2人が重傷を負う事件が発生 1984年4月 - 野洲町立野洲北中学校を分離 1987年8月 - 体育館の大規模改造工事が竣工 1990年8月 - 普通教室棟大規模改造工事竣工 1991年8月 - 特別教室棟大規模改造工事竣工 1996年3月 - 柔剣道場竣工 1997年4月 - コンピューター教室を設置 2004年10月1日 - 合併に伴う野洲市発足に伴い、野洲市立野洲中学校へ改称 2008年3月 - AEDを設置 2011年3月 - 改築棟竣工. [read more]

滋賀県立八幡商業高等学校(しがけんりつ はちまんしょうぎょうこうとうがっこう)は、滋賀県近江八幡市宇津呂町に所在する公立の商業高等学校。略称は「八商」(はっしょう)。建築家・実業家として活躍したウィリアム・メレル・ヴォーリズは、来日当初は本校で英語教師を務めていた。2年後、宗教上の問題で教師を解職させられたが、のちに本校の校舎を改築する際に設計を任された。ヴォーリズが設計した校舎は現在も使われている。戦後本校を取材した評論家の大宅壮一は、優秀な実業家を多く輩出する本校を「近江商人の士官学校」と評した。設置学科 商業科(1学年あたり160名) 情報処理科(1学年あたり40名) 国際経済科(1学年あたり40名)沿革 1886年(明治19年)5月1日 - 滋賀県商業学校として開校(創立は同年3月4日) 1901年(明治34年) 4月9日 - 大津市から現在の学校所在地近江八幡市宇津呂(当時は蒲生郡宇津呂村)に移転 6月8日 - 滋賀県立商業学校と改称 1908年(明治41年)4月1日 - 滋賀県立八幡商業学校と改称 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により滋賀県立八幡高等学校と改称 1949年(昭和24年)4月1日 - 滋賀県立中央高等学校と改称 1951年(昭和26年)4月1日 - 滋賀県立八幡高等学校に復す 1955年(昭和30年)4月1日 - 滋賀県立八幡商業高等学校と改称. [read more]

滋賀県立彦根工業高等学校(しがけんりつ ひこねこうぎょうこうとうがっこう)は、滋賀県彦根市南川瀬町に所在する公立の工業高等学校。略称は「彦工」(げんこう)。設置学科全日制課程 機械科 電気科 情報技術科 建築・設備科 都市工学科 環境化学科 建設科定時制 機械科(夜間)沿革 1920年 - 滋賀県立彦根工業学校開校(現・滋賀県立彦根翔西館高等学校の敷地)、色染科・紡織科(全日制)を設置   1936年 - 建築科(全日制)を設置 1939年 - 機械科・応用化学科(全日制)、第二本科に機械科・応用化学科(定時制)を設置 1940年 - 第二本科に建築科(定時制)を設置 1943年 - 色染科(全日制)を廃止 1944年 - 紡織科(全日制)を廃止 1944年 - 第二本科を滋賀県立第二彦根工業学校に改称、建築科・機械科・工業化学科(定時制)を設置 1946年 - 紡織科・色染科(全日制)を再設置 1948年 - 学制改革により滋賀県立彦根南高等学校に改称 1948年 - 建築科・機械科・工業化学科・色染科・紡織科(全日制)、建築科・機械科・工業化学科(定時制)を設置 1948年 - 併設県立中学校開校 1949年 - 滋賀県立彦根高等学校南校舎に改称(のち東校舎は彦根東、西校舎は彦根西となる) 1952年 - 滋賀県立短期大学附属工業高等学校に改称、色染科・紡織科(全日制)を廃止 1958年 - 土木科(全日制)を設置 1960年 - 滋賀県立短期大学附属彦根工業高等学校に改称 1963年 - 電気科(全日制)を設置 1967年 - 滋賀県立彦根工業高等学校に改称 1968年 - 工業化学科を廃止 1970年 - 創立50周年・校舎を南川瀬町に移転(9月) 1974年 - 情報技術科(全日制)を設置 1992年 - 設備システム科(全日制)を設置、土木科を都市工学科(全日制)に改称、建築科を廃止 1995年 - 建築科(定時制)を廃止 2000年 - 工業化学科を環境化学科(全日制)に改称、創立80周年 2005年 - 文部科学省のIT人材育成プロジェクト研究指定校に認定. [read more]

滋賀県立米原高等学校(しがけんりつまいばらこうとうがっこう)は、滋賀県米原市に所在する公立の高等学校。略称、米高。設置学科普通科〔1学年 4クラス〕普通科・英語コース 〔1学年 1クラス〕概要米原の読みは元々「まいはら」。米原高校の所在地・西円寺地区は、旧・米原町のメインストリート(米原駅東口)から北へ抜けた旧・近江町に在るので、校名は「まいばら」。2005年10月に近江町が米原市と合併したことにより、ようやく「米原(まいばら)にある米原(まいばら)高校」へと変わった。部活動は県下トップクラスの加入率を誇り、非常に盛んである。また、校舎は豊かな自然に囲まれた環境にある。歴史1963年4月:全日制課程普通科設置 1971年4月:全日制課程理数科設置 1994年3月:セミナーハウス「あさかぜ会館」完成 2001年4月:普通科・英語コース設置 2002年4月:スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクールに指定 2003年:創立40周年校訓清純敦厚・・・清純は、「清らかで素直なこと」。敦厚は、「真心があって人情深いこと」。このような優れた人格を育成する事こそが教育の基本であることを示している。校風大学進学を目指す生徒が大半。文武両道の精神のもと、部活動は大変盛んであり、近畿大会、全国大会に毎年出場者多数。湖北と湖東の中間に位置し彦根市から近江八幡市までと広範囲から個性豊かな学生が集まってくるので、互いに良い刺激を受ける。. [read more]

滋賀県立安曇川高等学校(しがけんりつ あどがわこうとうがっこう)は、滋賀県高島市安曇川町西万木にある県立高等学校。設置学科全日制課程普通科総合学科(平成22年度入学生まで)総合アカウンティング系列OAビジネス系列建築デザイン系列メカトロニクス系列情報システム系列教養文化系列ビジネス情報系列ビジネス会計系列建築デザイン系列メカトロニクス系列沿革 1965年1月 - 高島郡安曇川町に分校設置を決定 1965年12月 - 起工式を挙行。校舎の建築開始 1966年4月 - 安曇川町立安曇川中学校の校舎の一部を仮校舎として滋賀県立高島高等学校安曇川分校開校(家政科104名) 1966年7月 - 現在地に第一本館完成、仮校舎より移転 1967年 - グラウンド完成 1968年10月 - 第二本館、体育館の起工式挙行。校地を西側に拡張 1969年4月 - 商業科を設置 1969年 - 第二本館第1期工事竣工。体育館・渡り廊下完成。自転車置き場増設 1970年4月 - 第一本館2階・第二本館2期工事 1973年4月 - 滋賀県立安曇川高等学校に改称 1973年5月 - 第二本館第3期工事の増設と格技場、渡り廊下完成 1974年 - プール、バックネット完成 1975年 - 校地拡張工事着工 1977年 - 第三本館・生徒昇降口・クラブ部室完成。中庭を整備 1982年4月 - 家政科の募集を停止し、商業科のみとなる 1983年4月 - 普通科を設置 1984年 - 第四本館完成 1991年 - 第3情報処理室を新設 1973年5月 - 商業科に情報処理科を新設. [read more]

滋賀県立信楽高等学校(しがけんりつ しがらきこうとうがっこう)は、滋賀県甲賀市信楽町長野に所在する公立の高等学校。設置学科平成26年度から、総合学科制に移行した。それまでは、セラミック科(各学年の1組)・デザイン科(各学年の2組)・普通科(各学年の3組)というように、工業学科と普通学科が並立していた。概要陶芸の町・信楽の、風光明媚な雰囲気に包まれている。略称は「信高」(しんこう)で、総合学科制。校内には、信楽焼の焼成技術を生かした穴窯、紫雲窯(しうんがま)があり、主に陶芸部の部活動や、陶芸を行う授業での焼成作業に使われる。部活動 体育部 野球部 サッカー部 陸上競技部 バスケットボール部 バレーボール部 ソフトテニス部 ボクシング部 文化部 陶芸部 アート部 写真部沿革 1948年9月 - 滋賀県立甲賀高等学校(現在の滋賀県立水口高等学校)信楽校舎として開校。定時制工業課程窯業科、家庭課程被服科を設置。 1952年4月 - 高等学校再編により甲賀高等学校から滋賀県立甲南高等学校が独立。甲南高校の信楽分校となる。 1967年4月 - デザイン科新設、窯業科1学級減。 1973年4月 - 甲南高等学校から独立、滋賀県立信楽工業高等学校となる。 1982年4月 - 普通科クラスを新設し、現在の校名に変更。 1987年4月 - 窯業科をセラミック科に科名変更。 1998年11月 - 創立50周年式典挙行。 2014年4月 - 総合学科制に移行。高校再編計画県の高等学校再編計画により、信楽高校を再び甲南高校の分校にする案が浮上している。これに対し、卒業生や地域住民は、「分校化反対」として、反対運動を行っている。. [read more]

滋賀県立近代美術館(しがけんりつきんだいびじゅつかん)は滋賀県大津市にある美術館(2017年4月より長期休館)。概要周囲に滋賀県立図書館、滋賀県立埋蔵文化財センター、茶室『夕照庵』等があるびわこ文化公園の文化ゾーンにある美術館で、1984年8月に開館した。近代日本画と戦後アメリカの現代美術を中心として展示している。中庭には、アレキサンダー・カルダーがシカゴ市内に設置したパブリックアート「フラミンゴ」の大型の試作品(マケット)が展示されている。現在、新生美術館(新館建設・既存館改修・公園整備など滋賀県立近代美術館全体の再整備)の準備が進められており、2019年度までにオープン予定。新生美術館の設計者に、金沢21世紀美術館を手がけたSANAAが選定された。施設常設展示室1常設展示室2企画展示室ギャラリーレファランスルーム講堂ハイビジョンギャラリーミュージアムショップ野外展示場中庭レストラン主な収蔵品下村観山 - 「鵜鴎図」 (1901)、「観音図」(1911)、「維摩図」菱田春草 - 「雪の山」(1909)、「落葉」(1909)、「雪後の月」(1902)速水御舟 - 「菊写生帳」(1920)、「洛北修学院村」(1918) 、「鴫・柿・実」(1929)「遊魚」(1922)小倉遊亀 - 「童女入浴図」(1926 )、「受洗を謳う」(1936)、「夏の客」(1942)、「家族達」(1958)、「憩う」(1960)、「姉妹」(1970) 「近江名所図屏風」(室町時代)、国の重要文化財アンリ・マティス - 「オセアニア 海」(1946)、「オセアニア 空」(1946)マーク・ロスコ - 「ナンバー28」(1962)アンディ・ウォーホル - 「マリリン」(1967)、「キャンベル・スープ」(1968)、「フラワーズ」(1970)、「電気椅子」(1971)、サム・フランシス - 「サーキュラー・ブルー」(1953)フランク・ステラ - 「バルパライソ・フレッシュ」(1964)、「イスファハーン」(1967)、「ブラック・シリーズII」8点組(1967)パブロ・ピカソ - 「パピエ・コレ」(1966)、「ヴァイオリンとびん」(1966)、「ひぴのはいったラム洒のびん、グラス、新聞」(1966)、ジャスパー・ジョーンズ - 「ノー」(1969)、「おとりII」、「ナンバーズ」(1967). [read more]

甲賀市立信楽中学校(こうかしりつ しがらきちゅうがっこう)は、滋賀県甲賀市信楽町江田にある公立中学校。略称は「信中」(しんちゅう)。概要甲賀市信楽町地域のほぼ中央部に位置している。校舎周辺は教育関係施設が集約されており、信楽町市街地の文化ゾーンを形成している。学区は信楽町地域の5小学校全てが対象で、通学方法は徒歩・自転車・信楽高原鐵道信楽線・信楽高原バスと学区により様々である。現在の体育館は2003年、プールは2004年に建て替えられており設備の整った施設である。中でもプールは県下でも珍しい室内温水プールであり市民にも一般開放されている。また、校舎本館も2007年の夏から秋にかけて大規模な耐震工事と、並行して内装の大改修工事が行われており、学習環境の整った中学校といえる。さらに学区内は信楽焼の産地であることから、体育館の地下1階には陶芸教室が設けられている。先代の旧校舎は原因不明の火災により全焼した経緯を持つ。学校教育目標 命いきいき、心ひろびろ ど真剣に学ぶ生徒 心も元気、からだも元気な信中生 思いやりのある心優しい生徒生徒目標 意欲を持って学び考え行動する信中生 心も元気、からだも元気な信中生 人の痛み、苦しみ、悲しみなどが理解できる信中生校訓 創意 剛健 自律 友愛 愛郷. [read more]