Gunma, Japan, page #68

群馬県立利根実業高等学校(ぐんまけんりつ とねじつぎょうこうとうがっこう)は、群馬県沼田市にある県立高等学校。男女共学である。地元での呼称は「利根実(とねじつ)」あるいは「利実(とじつ)」、以前の校名の呼称は「利根農(とねのう)」。概要利根郡農会立蚕業講習所が前身。 利根農林高校などを経て、現在の校名となった。 1919年(大正8年)3月27日 - 利根郡立実業学校設立認可 1919年(大正8年)11月10日 - 利根実業学校と改称 1921年(大正10年)3月22日 - 群馬県利根農業学校と改称 1923年(大正12年)4月10日 - 群馬県立利根農業学校と改称 1941年(昭和16年)4月4日 - 林業科を設立し、群馬県立利根農林高校と改称 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により新制高等学校となり群馬県立利根農林高等学校と改称、農業科、林業科、農村家庭科(全日制)を置く 1963年(昭和38年)4月1日 - 農村家庭科を生活科と改称し、土木科(工業に関する学科)を新設、7学級(350名)となる 1989年(平成元年)4月1日 - 情報技術科を新設 1990年(平成2年)4月1日 - 創立70周年を期に群馬県立利根実業高等学校と改称 1991年(平成3年)4月1日 - 生活科を生活科学科と改称、農業機械科を自動車科に転科 1997年(平成9年)4月1日 - 林業科を森林科学科と改称し、森林技術コースと緑地保全コースを設立 2000年(平成12年)4月1日 - 自動車科と情報技術科を合併し工業技術科とし自動車技術コースと情報技術コースを設置、さらに農業科を生物生産科、土木科を環境建設科に改変し2年次よりコース性を導入、一学年5学級となる。 2003年(平成15年)4月1日 - 生活科学科2年次よりコース制を導入 2005年(平成17年)4月1日 - 農業課程の生物生産科、森林科学科、生活科学科を生物生産科、グリーンライフ科に改編し、工業仮定の工業技術科、環境建設科を機械システム科、環境技術科に改編. [read more]

安中市立原市小学校(あんなかしりつ はらいちしょうがっこう)は、群馬県安中市にある安中市立小学校。概要開校当時から3本のかやの木がある。沿革1873年 - 原市小学校開設。1873年 - 郷原小学校を自性寺に仮設。1873年 - 嶺小学校を自法寺を仮校舎として設立。1881年 - 教則が改正され、上等下等の制を廃して、高等・中等・初等の三等となった。1885年 - 嶺小学校を合併した。1889年 - 町制施行。原市村は原市町となった。碓氷第二尋常小学校は、原市尋常小学校と改称された。1941年 - 碓氷郡原市町国民学校。1943年 - 六三制実施により、碓氷郡原市町立原市小学校と改称された。1951年 - 町村合併により、碓氷郡安中町立原市小学校と改称された。1954年 - 市制施行により、安中市立原市小学校と改称された。学区原市地区安中地区高別当100番地学校教育目標すすんで学ぶ 心ゆたかな たくましい子の育成すすんで学ぶ力を持つ子自律・協力・思慮反省・個性の伸長・創意工夫等 計画性を身に付け、主体的に学習や作業に取り組む子 助け合い、協力し合って学習できる子 よく考え、学んだことを正しく使える子心ゆたかな子奉仕・友情・自然愛護・公共心・人権尊重・国際理解等 思いやりの心を持ち、人の気持ちを考えて行動できる子 自然に親しみ、生き物をいたわる心のやさしい子 礼儀正しく、あいさつのしっかりできる子たくましい子正義・勇気・責任・健康安全・明朗快活・生命尊重等 つらいことにもくじけず、勇気を持って正しいことが言える子 自分の仕事に責任を持ち、友だちと力を合わせて活動できる子 健康でねばり強く最後までがんばりぬく子関連項目 群馬県小学校一覧. [read more]

上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)は、群馬県前橋市・高崎市にある古代寺院跡。国の史跡に指定されている。奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、上野国国分僧寺の寺院跡にあたる。本項では上野国分尼寺跡(史跡指定なし)についても解説する。概要群馬県中央部、榛名山南東麓の染谷川と牛池川に挟まれた台地上に位置する。現在は関越自動車道を挟んで僧寺跡と尼寺跡が南辺を揃えて立地する。一帯は律令制以前にも山王廃寺のような古代寺院が建立された地で、律令制下では国分僧寺・尼寺のほか東方に上野国府(推定地)も営まれている。僧寺跡の寺域は1926年(大正15年)に国の史跡に指定された。1980年度(昭和55年度)からは第1期整備として発掘調査・史跡整備が実施され、2012年度(平成24年度)からは第2期整備が実施されている。また尼寺跡においても2016年度(平成28年度)から発掘調査が実施されている。歴史古代創建は不詳。天平13年(741年)の国分寺建立の詔の頃に創建されたと見られる。『続日本紀』天平勝宝元年(749年)5月15日条・閏5月20日条で当寺への知識物献上の記録があることから、聖武天皇の詔を受け速やかに造営が始まったとする説がある。延長5年(927年)成立の『延喜式』主税上の規定では、上野国の国分寺料として稲5万束があてられている。長元3年(1030年)の『上野国交替実録帳』では、当時には諸建物が破損・荒廃していた様子が記述される。. [read more]