Cemetery - Japan, page #5

会津藩主松平家墓所(あいづはんしゅまつだいらけぼしょ)は、福島県耶麻郡猪苗代町および会津若松市にある会津松平家歴代藩主の墓所である。国の史跡に指定されている。概要初代保科正之の墓所は猪苗代町の土津神社にあり、2代保科正経から9代松平容保までの墓所は会津若松市東山町の松平家院内御廟(いんないごびょう)にある。両所は、大名家の神式墓所の代表的なものとして、1987年(昭和62年)に国の史跡に指定されている。土津神社初代正之の墓所は、遺言により自ら選定した猪苗代湖を望む磐梯山山麓の美祢山に、死去の翌1673年(延宝元年)神式によって造られ、葬られた。後に土津神社が建立された。院内御廟2代藩主以降の墓は、正之の死より前の1657年(明暦3年)に、正之の次男保科正頼が死去した際、正之が若松城下の院内山を墓所として定めたことからはじまる。2代藩主保科正経は仏式により葬られ、3代藩主松平正容から9代藩主松平容保までが神式によって葬られた。神式の墓は、亀形石を台座とした碑石が前面にあり、その奥の一段高い場所に灯篭が対に並び、その奥に表石、さらに奥に小高い墳丘を造りその上に八角形石組の鎮石が置かれている。御廟には歴代藩主のほかに家族や子孫の墓、拝殿がある。2001年(平成13年)12月に史跡保護のため公有化を行い、史跡指定区域のほとんどが、会津松平家から会津若松市の所有になった。その後、保存・管理・活用基本計画、整備実施計画を策定し、2005年(平成17年)からはその年次計画に基づき、樹木の整備、き損箇所・危険箇所の復旧、便益施設の整備等の本格的な史跡環境整備に着手している。. [read more]

東京都立八柱霊園(とうきょうとりつやはしられいえん)は、千葉県松戸市田中新田にある東京都立の霊園。概要本霊園は1935年(昭和10年)に東京市が東方墓地として開設した。都市計画法に基づく都市施設名称は、東京都市計画墓園第5号八柱墓園として、東京都市計画区域外ながらも1944年に都市計画決定されている。面積は105ヘクタール(約1平方キロメートル)東京ドーム約20個分の面積に相当する。周辺一帯は起伏に富んだ地形となっており、霊園も小高い丘とその谷間に造られている。なだらかな丘は芝生でおおわれ、谷間にはフランス風の幾何学模様の庭園がある。 700mの参道の両側にはケヤキ並木を有し、長方形の敷地の半分が墓所、残りは園路、植え込み地、広場などの公園になっている。ほかに宝塔形の給水塔や噴水などがあり美しい景観を誇る。近隣住民や霊園周辺に存在する松戸市立の小中学校の遠足やマラソン大会、ウォーキングコースとして人気があり、都区内近郊の公園としても親しまれている。都立霊園は通常、申込時に一定要件を満たした東京都在住者に利用が限られるが、この霊園については立地に対する配慮として松戸市民に対しても利用枠が割り当てられている。園内には西條八十、嘉納治五郎、松山恵子などといった著名人の墓もある。. [read more]