Aichi, Japan, page #191

進雄神社(すさのお じんじゃ)は、愛知県豊橋市南栄町にある神社(進雄神社)。由緒元禄11年(1698年)森田新田の開発がなり、その鎮守として高師村字東浦十番地に一社を建立して牛頭天王を奉斎、明治3年、神社制度の改正にあたり、進雄命を祭神と仰ぎ、進雄神社と改め、村社に列せられる。明治41年(1908年)、第15師団の設置にあたり境内地はその用地として買収される。ために字東浦7番地に遷祀(せんし)。また、大正8年(1919年)には火薬庫築造による危険の回避に迫られ、南栄町(この頃は栄町と呼称していた模様)と地元集落の北山との談合の結果、現在地に遷座し奉ることになった。昭和40年(1965年)、南栄町公民館の収益を主財源として羽田八幡宮の旧拝殿を移築、それを機に栄生町・東栄町・新空池町・曙町が氏子として加入したが、後に曙町は脱退。また昭和60年(1985年)学区変更により南栄町より分離した新草間町が加入したが、平成13年に脱退し、現在は四町の氏神として多くの人々の崇敬を聚めている。境内社(末社) 秋葉神社 - 祭神:火産霊神、大祭日:11月第3日曜 空池天満宮(からいけ てんまんぐう) - 祭神:菅原道真、祭日:1月第2日曜日 南栄町に敬神の念の厚い篤志者あり。天満宮奉斎の費用の奉納を遺言される。氏子相諮り「学問の神」として御祭神の御遺徳により受験生はもとより、学業を志す人々の拠り所となることを念じ、平成3年(1991年)2月21日に、太宰府天満宮(福岡県)より御分霊を拝受し、ここに遷座し奉った。. [read more]

大嵐車站()是一由東海旅客鐵道(JR東海)所經營的鐵路車站,位於日本靜岡縣濱松市天龍區水窪町,是JR東海飯田線沿線的一個無人車站。大嵐車站是屬於JR東海東海鐵道事業本部的直轄範圍內,並由中部天龍車站負責管理。簡介位置緊鄰靜岡縣與愛知縣縣界的大嵐車站,雖然站址是位在靜岡縣境內,但卻是舊富山村(2005年時已併入隔鄰的豐根村,是愛知縣北設樂郡下屬的行政區之一)的主車站,車站與富山村之間以橫跨在天龍川上的鷹巢橋連結。大嵐車站設置在兩隧道間狹小的平地上,飯田線在車站南側(往豐橋方向)會進行一個非常大角度的轉彎並進入該鐵路線沿線最長的大原隧道(5,063公尺)。之所以會有如此配置,是因為大嵐車站的正南方是1955年建立的佐久間大壩(佐久間ダム)所在地,為了避開大壩設立後將會沒入水中的地帶(也就是今日的佐久間湖)飯田線在原線以東的平行位置設置了新線,並在佐久間車站處接回原路線。大嵐車站在1997年時仿照東京車站(舊站體部分)建築風格所改建的新站房,曾在2002年時獲選進入中部車站百選(中部の駅百選)第四回的入選名單。車站結構島式月台1面2線與設有側線的地面車站。近平岡方向設有附帶警報機的站內平交道。中部天龍站管理的無人站舊富山村在飯田線紀念全線通車60周年時於1997年建設了一個模仿東京站的站舍。這個站舍名為「大家休息的地方」(みんなの休む処)。. [read more]

名古屋市場駅(なごやしじょうえき)は、かつて愛知県名古屋市熱田区川並町にあった日本国有鉄道(国鉄)の駅。東海道本線貨物支線(通称名古屋港線・白鳥線)の終着駅であった。概要地上駅で、名古屋市中央卸売市場本場の中にプラットホームが設置されていた。ホームは鮮魚卸売場と塩干・青果卸売場の2か所に分かれていたが、荷役線や待避線は一体となっていた。当駅では主に卸売市場を発着する水産物や青果物などを取扱っていたが、日本冷蔵専用線を発着する貨物も取扱っていた。日本冷蔵の倉庫は市場の西側にあったため、白鳥駅から分岐していた専用線と、八幡信号場方面からのホームへの線路が平面交差していた。1966年(昭和41年)時点では1日6本の貨物列車が稲沢駅で継走され全国からの貨車を牽引して到着していたが、トラックの普及や高速道路網の整備などのため取扱量が減少し、1978年(昭和53年)に廃止された。全国に数か所あった市場駅の中でも一足早く廃止されている。廃止後、市場の改修が行われたため、ホームなどは残っていない。また当時あった日本冷蔵の倉庫も既に取り壊されているが、ニチレイ・ロジスティクス東海(ニチレイグループ)の本社はまだ当地に置かれている。歴史 1945年(昭和20年) 1月8日 - 名古屋市卸売市場の専用線が開業。 3月 - 空襲により名古屋市卸売市場全焼。 1957年(昭和32年)2月1日 - 専用線を国鉄線に変更し、名古屋市場駅が開業。貨物駅。 1974年(昭和49年)10月1日 - 小荷物の取扱を開始(一般駅となる)。 1978年(昭和53年)10月1日 - 廃止。. [read more]