Lodging - England, United Kingdom, page #744

ロイヤル・オーク()は清教徒革命中の1651年、当時のイングランド・スコットランド皇太子チャールズ(後のイングランド・スコットランド王チャールズ2世)が議会派の軍との戦いに敗れた後、彼らから逃亡する際に隠れたオーク(イングリッシュオーク)の木に与えられた名前。1660年の王政復古後、この木の逸話は大変有名となり、王権を象徴する獅子と一角獣に支えられたオークの木から王が顔をのぞかせている図柄の陶器などが多く作られた。また、イギリス国内はもとより、アイルランド、カナダ、アメリカ合衆国、ニュージーランドなどに「ロイヤル・オーク」という地名が存在する。イギリス海軍には歴代8隻の軍艦に「ロイヤル・オーク」という名前が付けられている。歴史1642年に始まったイングランド・スコットランド・アイルランドの清教徒革命は1649年についに国王チャールズ1世の処刑にいたった。この時王子チャールズは亡命してオランダにいたが、革命に反対するスコットランドが彼を王として推戴したのに呼応してスコットランドに上陸し、1651年1月1日に戴冠式を行った(王位についたのはスコットランドのみで、イングランド史上ではいまだチャールズは皇太子)。しかしその後潜入したイングランドでオリバー・クロムウェル率いる議会軍に手ひどい敗北を喫し(ウスターの戦い、1651年9月3日)、逃亡を余儀なくされた。チャールズは王党派の残党と共にシュロップシャーのボスコベル館に逃げ込んだ。館の主はカトリックだったため彼らをかくまったが、議会軍の詮議はその館にまで及んだため、チャールズは側近と共に大きなオークの木の枝の中に一晩隠れ、追手をやりすごした。この木が後にロイヤル・オークと言われるものである。. [read more]