Restaurant - Jiangxi, China

黄鶴楼(こうかくろう、、)は、現在の中華人民共和国武漢市武昌区にかつて存在した楼閣。現在はほぼ同位置に再建された楼閣がある。武漢随一の名勝地であり、中国の『江南三大名楼』のひとつである。李白の代表的な漢詩「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」や崔顥の「黄鶴楼」にてその名を知られている。歴史三国時代の223年、呉の孫権によって軍事目的の物見櫓として建築されたが、後には主に観光目的の楼閣になった。唐の永泰元年(765年)に書かれた閻伯瑾「黄鶴楼記」に楼閣の盛大な様子を記している。黄鶴楼は幾度も焼失と再建が繰り返された。清の光緒10年(1884年)の火事で失われた後は、火の見櫓が建っていたらしいが、1955年に武漢長江大橋の建設のために取り壊された。伝承黄鶴楼には、以下のような伝承が残っている。昔、辛氏という人の酒屋があった。そこにみすぼらしい身なりをした仙人がやってきて、酒を飲ませて欲しいという。辛氏は嫌な顔一つせず、ただで酒を飲ませ、それが半年くらい続いた。 ある日、道士は辛氏に向かって「酒代が溜まっているが、金がない」と言い、代わりに店の壁にみかんの皮で黄色い鶴を描き、去っていった。 客が手拍子を打ち歌うと、それに合わせて壁の鶴が舞った。そのことが評判となって店が繁盛し、辛氏は巨万の富を築いた。その後、再び店に仙人が現れ、笛を吹くと黄色い鶴が壁を抜け出してきた。仙人はその背にまたがり、白雲に乗って飛び去った。辛氏はこれを記念して楼閣を築き、黄鶴楼と名付けたという。現在の黄鶴楼現在の黄鶴楼は19世紀当時の姿を参考にして1985年に再建されたもので、高さは約51. [read more]